『フィリッピン』に行ってみた♪(Fort Santiago Proper - サンチャゴ要塞)
歴史的名所と言う事で、市内観光に組み込まれていました。
Fort Santiago Proper - サンチャゴ要塞
入り口に入ってから、振り返ってパチリ。
警備員は、銃を携帯しています。
この道の突当りが『サンチャゴ要塞』。
道の左側に銅像が。
マッカーサー元帥とマニラ市長のアルセニオ(…多分)が
何やら話し込んでいるよう。
この間に座って写真を撮ってもらえれば…
歴史の中に入れるかも?
他にも、キリスト教関係の銅像も…。
小さい馬に、シンデレラを思わせる馬車。
これは、女性に人気有りそう…。
他にも遊覧バスが。
などと、見て回るうちに『サンチャゴ要塞』に到着。
このレリーフ、良く見ると騎馬が歩兵に襲う様か?
何か、漫画的な構図かも…。
更に良く見ると、修復した後が。
案内看板。
FORT SANTIAGO
One of the oldest fortification in Manila.
Built in 1571, on the site of the native settlement of Raja Soliman.
First fort was a palisaded structure of logs and earth.
Destroyed in the Limahong attack in 1574.
Stone fort built between 1589 and 1592.
Damaged in the 1645 earthquake.
Repaired and strengthened form 1658 to 1663.
Became the headquarters of the British occupation army from 1762 to 1764.
Repaired and renovated in 1778.
Former headquarters of the Philippine Division of the U.S. Army.
Occupied by the Japanese military in 1942 where hundreds of civilians and guerillas were imprisoned, tortured and executed.
Destroy in the Battle of Manila in 1945.
Used as depot od the U.S. Transportation Corps before turnover to the Philippine Government in 1946.
Declared Shrine of Freedom in 1950.
Restoration and maintenance of the fort began in 1951 under the National Park Development Committee.
Management was turned over to the Intramuros Administration in 1992.
とある。
大体こんな意味。
>サンチャゴ要塞
>マニラで最も古い要塞の一つ。
>1571年に建てられ、1574年にLimahongの攻撃で破壊された。
>石砦は1589年と1592年の間に建設。
>1645地震で破損。
>~中略~
>管理は、1992年にイントラムロス管理に引き渡されました。
後ろからの写真。
ホセ・リサールの最後の足跡を路面に記してあります。
この後、銃殺されたそうです…。
壁の上にペットボトルを発見!
行儀の悪い、観光客か?
と、思ったら。
実は、修復に作業に来ている人のジュースだった。
帰りに偶然発見。
作業の人達が、フレンドリーに手を振ってくれた♪
中には、芝生が広がっていた。
この芝生は、観光地にしたときに整備したらしい。
右手にスロープがあり要塞の壁の上に。
そこには、砲撃用の広間が。
今は、ベンチが置かれ公園になっていた。
何でも、昔は、超の付くデートスポットだったそうだ。
しかし、オーシャンパークなどが出来たので
こちらは、下火に…。
壁の上の通路。
建物跡。
警備員の詰所。
窓でなく銃眼なのが、要塞です。
別な所の警備員の詰所。
下に見える金網は、牢屋です。
第二次世界大戦時に日本人に拘束された
600名のフィリッピン人が亡くなったそうです。
地下牢に行く階段。
サンチャゴ要塞のリサール記念館
地震で瓦が落ちたそうだ。
修復が間に合わないらしい。
ホセ・リサールの胸像…。
…絵と似ていないと思うのだが…。
中に入ると、ゆかりの物が展示してあった。
天蓋付きベッドって、どんだけお坊ちゃん?
と言うほど、裕福な商家の子供だったそうだ。
特に銃殺後の遺体の引き渡しに彼の姉が
どんなに苦労したかをガイドが熱く語っていくれました。
皆が尊敬する英雄だとガイドを通して知らされます。
その玄関にある、注意事項。
そこから下って、そばにある十字架。
由来の説明看板。
IN MEMORY OF THE VICTIMS
AT FORT SANTIAGO
ON THIS SITE LIE THE MORTAL REMAINS OF APPROXIMATELY 600 FILIPINOS.
THEIR BODIES WERE FOUND INSIDE A NEARBY DUNGEON WHERE VICTIMS OF THE ATROCITIES PERPETRATED BY THE JAPANESE IMPERIAL.
FORCES WERE IMPRISONED DURING THE LAST DAYS OF FEBRUARY 1945.
THE MEMORY OF ALL THESE UN KNOWN VICTIMS OF JAPANESE ATROCITIES WILL LIVE FOREVER IN THE HEARTS AND MINDS OF THE FILIPINO PEOPLE.
ざっぱな訳は、こんな感じ。
>サンティアゴ要塞の被害者メモリ
>約600人のフィリピン人の遺骨が収められている。
>日本の残虐行為これらすべての国連既知の犠牲者の記憶はフィリピン人の心で永遠に生きる。
…
黙祷です。
要塞の守りに使った、大砲と砲弾。
銃痕が残る当時の建物。
生々しい。
さらに園内の別な場所に…
との、その時に雨が降り始めたで、ホセ・リサールの
射殺された場所など他の場所には、行けませんでした。
雨が収まるまで、お土産屋に退避したのですが
やまないので諦めて雨の中、次の場所に移動…。
こっから、サンチャゴ要塞から見える対岸の風景。
高層ビルが見えます。
中国資本がビルを建てているとの事。
中央左の真っ赤に錆びた土砂運搬船。
既に係留して何年も経っているようですが
どうやら人が住んでいるようです…。
バラックを建てて住んでるようだ。
こちらは、上の写真の左側の風景。
中央の細かい建物の所は、元々は、広い道路だったそうだ。
そこに段ボールがひかれ、掘っ建て小屋が立ち…
こうなったそうです…。
流石にあそこには、行かないようにと釘を刺されました。(汗)
…
サンチャゴ要塞は、歴史。
そこから見渡せる風景は、縮図。
…かも。
色々考えさせられます。
つづく
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